May 13, 2010
いくつかのサルブトガ白髪染めか
白髪染めとかなり面倒で大変なことだと思う。職場の人の中には2週間に一度白髪染めを自分にしているという人がいる。身だしなみに気を使っているのは、本当に理解できるが、洗練された染色だったらそのように早いサイクルで染色したりすると髪の損傷が激しいような気がするの私も、後どのくらい経てばそうなるが...うちの子は小学校3年生だが、いくつかの円形脱毛症です。見た時は本当にびっくりびっくりしました。円形脱毛症はストレスから来ることが多いところなのでされているし、ストレスを与えないようにはしていますが言うことを聞かないので怒って簡単です。女性は髪で隠すこともできますが、我々の子供は男の子なので、なるべく目立たないように隠すようにしています。
【政論】
菅直人首相の無責任発言に拍車がかかってきた。24日には民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた月額2万6千円の子ども手当について「(支給額の大きさに)びっくりした」と語り、マニフェストが嘘と方便で作られたことをあっさり認めた。「国民との契約」を弊履のごとく捨てるその姿には仰天するしかない。
25日の各閣僚の記者会見では、首相の「びっくり」発言に「首相は表現力豊かなので…。困った」(野田佳彦財務相)などと当惑の声が漏れた。評価したのは与謝野馨経済財政担当相だけ。「非常に正直で立派なことだと思いますよ…」
政府筋は「政治家は本当のことを言ってはいけない」と妙な釈明をしたが、これは「嘘は貫き通せ」という意味なのか。月2万6千円というバラマキ政策で平成19年の参院選と21年の衆院選に大勝し、政権交代したことを民主党のみなさんはすっかりお忘れのようだ。
野田氏も7日の衆院予算委員会で子ども手当支給額の積算根拠について「背景は知らない。責任ある答弁はできない」と答弁した。予算・財政をつかさどる閣僚が責任を持てないならば、直ちにマニフェストを撤回するのが筋だろう。
ただ、今回に限らず、首相の政治家ライフはもともと「驚き」の連続だった。
「私も率直なところ驚いた…」
首相は23日の党首討論で、鳩山由紀夫前首相が在沖縄米海兵隊の抑止力は「方便だった」と発言したことに驚いてみせた。
ちょっと待ってほしい。13年7月の参院選中に民主党幹事長として「海兵隊が沖縄に存在しなくても日本の安全保障に大きな支障はない」と発言していたのは首相ではなかったか。
「沖縄での選挙戦が厳しかった。菅さんは、そういうときにサービスする傾向がある」
首相は当時政調会長だった岡田克也幹事長にこういさめられたが、14年9月の党代表選でも改めて海兵隊の撤退を掲げた。15年11月の那覇市での記者会見でも海外移転を訴えた。これらの発言はすべて選挙目当ての「方便」だったのか。
首相は北朝鮮の拉致実行犯、辛光洙(シン・ガンス)元死刑囚の釈放嘆願書に署名した問題を指摘された際も「(対象に辛元死刑囚が入っていたことに)率直なところびっくりした」(22年2月の参院決算委)と語った。
「天下り全面禁止」をうたう民主党政権が樹立してまもなく、日本郵政社長に元大蔵官僚の斎藤次郎氏が就いた際も首相は「若干びっくりした」(21年11月の衆院内閣委)と語った。
どうやら「驚く」ことで自己正当化するのが首相の処世術のようだ。ただ、これが周囲にはた迷惑な「驚き」を広げている。
首相は2日の衆院予算委ではマニフェストに掲げる月額7万円の最低保障年金制度について必要な財源さえ試算していないことを明言。これには桜井充財務副大臣も驚愕(きょうがく)した。
「アバウトな数字も出せなかったのに驚いた。マニフェストを作った人たちは出てきて説明すべきだ!」
自民党の小渕優子元少子化担当相は大畠章宏国土交通相と会った際、建設の是非を再検証している八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)についてあっさりこう言われ、腰を抜かした。
「すみません。若い政治家(前原誠司外相・元国交相)が地元のことも考えずにいいかげんなことを言っちゃって…」
都合の悪い話は「驚いて」ごまかす。この不条理な「菅イズム」は政権の隅々まで浸透している。(阿比留瑠比)
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【from Editor】
東京・神田の専修大学は大手町の産経本社に近い。職場の窓からその校舎が目に入るたびに、三十数年前、そこで産経の入社試験を受けたことを思いだす。
その専修大学が創立130周年を迎え、記念映画が公開された。「学校をつくろう」。軽やかなタイトルではある。だが、法律を専門的に教える日本初の私学としてスタートするまで、波瀾(はらん)万丈の物語が心に響く。
主役は、明治初期に米国に渡った4人の若者である。
初代校長となる相馬永胤(ながたね)が横浜から米国客船に乗り込むのは明治4(1871)年、まだ廃藩置県の前で、彦根藩の藩費留学生だった。戊辰戦争では、新政府側に立った彦根隊の一員として17歳で参戦し、北関東を転戦して白兵戦を経験している。
維新後の政府や各藩は岩倉使節団はじめ多数の視察団、留学生を欧米に派遣した。相馬は、米国東部のコロンビア、エール、ハーバードの各大学など、それぞれの留学先で猛勉強中の同年配の若者たちと友情を培う。
市民社会の基礎である法律の整備・普及がなければ国の近代化もかなわない。しかし当時、法律を教える学校は東京大学と司法省の法学校だけ。しかも「お雇い」の外国人中心の教育であり、専門課程に入る前に語学力を身につけなければならなかった。
「日本人が日本語で法律を論じ、法律知識を有する多くの人材が活躍する社会を」。4人の若きサムライが結束する。
幕末に敵味方に分かれた怨讐(おんしゅう)を乗り越え、帰国して学校用地の手当て、資金集めと奮闘する姿は、見通しの立たない混乱の時代によくぞそこまでと思わせるエネルギーに満ちている。
明治維新は、支配階級(武士)が既得権益を自ら返上した世界史にもまれな変革、という論がある。確かにそうだったのか…と、うなずかされる思いだった。
門地門閥や来歴にこだわらず新国家の将来像を探し求める情熱がすごい。
明治13年、専修学校(大学の前身)は誕生する。その後、法律を日本語で教える私立の専門学校が続々と生まれ、卒業生が日本の近代社会の原動力となっていく。
若い人たちが秘めるハングリー精神がスクリーンにあふれて、その爽快感がなんともいえない。監督は神山征二郎氏。俳優・三浦友和の次男、三浦貴大(たかひろ)が演じた相馬永胤もなかなかよかった。(編集委員 平山一城)
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