Sep 25, 2009
クリアファイルアルバム
デジタルカメラで写真を撮ってパソコンで印刷するようにすると、写真のサイズが多様になっている。必ずA4サイズのデジタルカメラの写真のファイン用紙に複数枚の合わせて印刷されますが、そのままクリアファイルに含まれています。素敵な表紙のクリアファイルに会えば、すぐに買うことになります。重いアルバムの代わりに便利です。従業員の研修をすると、自分の欠点を見つけることです。私は、従業員の研修を行ったとき、電話応対のシミュレーションを行ったが、会話の間に"あ"という余計な言葉が含まれていたことを指摘した。職員研修を実施しなければわからなかったことだ。このような隠れた性癖を見つけるためにも、頻繁に従業員の教育をするといいだろう。
桜並木に彩られた哲学の道(京都市左京区)沿いで3日、「哲学の道散策の集い」が開かれた。住民が清掃した琵琶湖疏水沿いにはお茶の無料接待所や休憩所が設けられ、観光客らはのどかな春の一日を楽しんだ。
市民や観光客に環境保全と美化運動への参加を呼び掛けようと、疏水・白川を美しくする会と哲学の道保勝会が開いており、今年で38回目。大豊剣鉾保存会による「剣鉾奉納」の実演もあり、力自慢の鉾差しが重さ30?40キロ、長さ7メートルの剣鉾を腰で支え、ゆっくり歩むと、観光客らは歓声を上げてカメラを構えていた。
銀閣寺周辺では、集いに合わせて浄楽学区各種団体連絡協議会のメンバー18人が街頭募金を行った。英語やハングル語で支援を呼び掛ける文章を作り、外国人観光客にも訴えかけていた。
美しい松林が大津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」で、気仙川河口付近の松が辛うじて1本だけ残っている。地元では復興への願いを込め、「希望の松」と呼ばれつつある。
地元の「高田松原を守る会」によると、残った松は直径約80センチ、高さ約20メートル。樹齢200年以上とみられる。
守る会副会長の鈴木善久さん(66)は「奇跡だ。松は『俺に負けないで復興に向け力を合わせてほしい』と市民に語り掛けている気がする」と話す。
地元で活動する自衛隊と警察、消防は、この松をデザインしたワッペンを作り、市の災害対策本部に掲示。各職員の士気を高めている。
高田松原は、過去の津波で大きな被害を受けた記録はなく、史上最悪の津波災害とされた明治三陸大津波(1896年)でも松林は生き残った。
しかし、今回の東日本大震災では、震源が広田湾の湾口側に当たる南東方向だったため、津波の威力が衰えることなく、湾内に押し寄せ、松林を壊滅させたとみられている。(神田一道、坂井直人)
広田半島で隔てられている二つの湾から押し寄せた津波が合流し、大きな被害が出た岩手県陸前高田市では、広田湾側から入った津波と、只出(ただいで)漁港側から入った津波の高さが大きく異なっていた。住民らの証言では、広田湾側からの津波は高さ10メートル超に達したのに対し、只出漁港からの津波は3?5メートル程度。専門家は津波の威力が、震源の位置と湾口の向きによって大きく左右される典型例とみている。
広田湾側と只出漁港側の双方から津波が押し寄せ、合流した陸前高田市小友町地区の新田集落。
町内会長の及川秀七さん(73)は「広田湾も只出漁港も、すぐ隣の湾なのに、それぞれの方向から入ってきた津波は、規模や迫力がまったく違っていた。別の地震の津波のようだった」と証言。広田湾側からの津波は高さ10メートルを超えていたが、只出漁港側からの津波は3メートル程度だったという。
東北大災害制御研究センター非常勤講師の阿部郁男さん(43)は「津波の威力は地震の規模だけではなく、震源と湾口の位置関係で大きく変わり、今回の津波でも、その傾向は顕著だ」と指摘する。
東日本大震災の震源は牡鹿半島東南東の三陸沖で、広田湾からは南東方向。広田湾の湾口はちょうど南東に開いていて、震源からの津波が直接伝わった。一方、只出漁港側は東向きで、津波は広田半島にぶつかり、広田湾の津波よりも小さくなったとみられる。
阿部さんによると、大船渡市綾里白浜地区は明治三陸大津波(1896年)で、国内観測史上最高の波高38.2メートルを記録した。この時の震源は釜石東方の三陸沖で、真東に湾口が開いた綾里湾には津波の威力が減殺されずに達したという。
今回の東日本大震災で綾里白浜地区に到来した津波は25メートル前後。明治三陸大津波を下回り、集落の被害も少なかった。震源の宮城県沖を発した津波の一部が綾里半島に吸収された可能性が大きいという。
阿部さんは「広田湾に限っては、今回の津波の威力は明治三陸大津波をはるかに上回った。震源と湾口の位置関係によって、津波被害の大きさが変わる典型例だ」と話している。
(中村洋介)
東日本大震災の大津波により、パン製造業大手のフジパングループ本社(名古屋市)が宮城県岩沼市に建設した新工場が被害を受け、4月に予定していた操業開始の延期を余儀なくされた。生産ラインが津波で水没し、復旧には時間がかかる見通しという。同社は「時期のめどは立たないが、必ず操業する」と再起を目指している。
同社は3月30日、岩沼市空港南3丁目の仙台空港岩沼臨空・矢野目工業団地に建設したフジパン仙台工場の被災状況について、本格的な調査に入った。
名古屋の本社からの応援も含め、数十人が片付け作業に追われた。東北に初めて築く生産拠点の再出発へ、第一歩を踏み出した。
新工場は、鉄骨2階で延べ床面積約1万6000平方メートル。昨年8月に着工し、3月3日に建設会社から引き渡されたばかりだった。
立地は海岸線から約1.5キロ。震災が起きた3月11日、大津波は真新しい建屋や生産ラインを襲った。当時は4月の操業開始に向け、生産ラインの試運転中だった。従業員や隣接するグループ工場従業員ら336人が2階に避難し、水が引くまで一晩を明かした。
同社は操業開始の延期に伴い、約250人程度の社員やパートに連絡を取っている。担当者は「操業を開始できる見通しは全く立たない状況だが、新工場で働きたいかどうか意向を聞いている」と語る。
岩沼市は操業開始に備えて、工業団地内のインフラ復旧に全力を挙げている。同市商工観光課は「市民が働く場所としての期待は大きかった。一刻も早く操業していただけるよう願っている」と話している。
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